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ギターに限らず、近年コンサートに足を向ける方の数が激減していると聞きます(特にクラシック分野での)。原因は一つに絞ることはできませんが、コンサート会場に足を向けなくても、音楽を聴く手段がいくらでも増えてきたという事実が大きな原因になっているでしょう。



かつてのレコード、カセットテープ、CDのみなならず、今やインターネットを介して様々な音源が手に入ります。巨匠の名演から期待の新人の熱演、めったに聴くことのできない貴重な音源までが、もはやワンクリックで手に入るのです。練習の参考にしたいと思ったら、好きな音源を見つけて何度でも繰り返し聞くことができます。



以前会ったある御仁などは「ミスの可能性もある生演奏など聞く気がしない。家で巨匠の最高の演奏を聞いているほうがはるかによい」と言い放ちました!



しかし私としては録音された音源では音楽の真価は完全には伝わらないと思うのです。



「音楽は純粋に音のみで評価されるべきだ」という考え方もあるかもしれませんが、音楽とは場を共有するものだと私は考えています。コンサート会場に足を向け、大勢の観客とともに演奏者の紡ぎだす音色や息遣いを見守る。いくら録音技術が発達してもその場の空気感、高揚感までは記録できません。そこで奏でられるのは録音された過去の記念碑のような音楽ではなく、現在進行形の一度限りのステージです。たとえ同じ演奏者、同じ曲であっても二度と同じにはならないのです。



そもそも現在のように録音技術が発達する以前は音楽は「会場に足を運んで聞くもの」だったはずです。一期一会、その場限りの瞬間の芸術であることが音楽の本質なのです。録音された音楽もいいですが、それだけ聞いていても音楽のある一面しか見ていないと言えます。



録音は「情報」ですが、コンサートは「経験」。きっと部屋で聞く音源以上の喜びや発見があるでしょう。なによりも「生身の人間としての演奏者」と向かい合う、得難い経験なのですから。