アストル・ピアソラ作曲、オラシオ・フェレール作詞の『我が死へのバラード』と『ロコへのバラード』。
エレナ・ロジャー(Vo)とサックスを中心としたグループ「エスカランドラム」の演奏です。
バンドネオンもバイオリンもなくサックスやバスクラリネット、ドラムの入ったスタイルは好き嫌いのわかれるところですが、この人たちはジャズ的に崩すこともなく、原曲のエッセンスを大切にしつつ、現代的なスタイリッシュさも感じさせる作りこまれたアレンジで好感が持てます。 取り上げている曲も『受胎告知のミロンガ』『3001年へのプレリュード』『万里の長城』などなかなかマニアックなところも押さえていて面白いのでぜひ一聴してみてください


・・・・さて、数々の名曲を生み出したピアソラ=フェレールによる歌曲の代表作ともいえるこの2曲ですが、『ロコへのバラード』が難解な歌詞ながら「愛による魂の解放」というべき自由さとポジティブさがあるのに対し、『我が死へのバラード』はこれから自ら命を絶とうとしている男を題材にとった一見ネガティブな内容です。
今の日本で発表されたら「自殺礼賛の歌である」とバッシングを受けるかもしれません(^^;


『私はブエノスアイレスで死ぬ。それは夜明けのことになるだろう。
私は落ち着いて身の回りの物を取っておく。
私のサヨナラと弾丸のちっぽけな詩。タバコ。タンゴ。一握りの憂鬱。
夜明けの間、肩にコートをひっかけて
最後から2番目のウィスキーは飲まれないまま残るだろう
私は愛する死に静かにたどりつき
6時ちょうどに死ぬだろう。
6時になった時・・・6時になった時・・・』


しかし実際に聞いてみればわかりますが、『我が死へのバラード』の終盤に向うドラマチックな展開は、歌詞の内容とは裏腹に圧倒的な力強さを感じさせます。
決して鬱々とした死ではなく、自らの命を燃やしつくすかのような強烈な情念なのです。
むしろこれはオペラ的な虚構の世界、自らの死すらエネルギーにしてしまう逆説的な人間肯定の歌であり、その意味で『ロコへのバラード』とまさに表裏一体なのかもしれません。

そもそもタンゴという音楽自体がイタリア系移民の音楽性の影響が大きいと言われており、タンゴは「3~4分に凝縮されたオペラ」とも言われています。
劇的なオペラの空間の中では悲劇も喜劇も音楽に飲み込まれ、人生肯定へと昇華されることで観客にカタルシスを与えますが、後のタンゴ歌曲も市井の人々の喜怒哀楽を短い時間の中でドラマチックに表現し、人々の共感を得てヒットした名曲が数多く作られました。
タンゴが「3分間のオペラ」とたとえることができる所以です。
ピアソラ=フェレールはもちろんその伝統を引き継いでおり、彼らの歌曲はひとつひとつが過不足なく完結した1本のオペラと言えます。

ただ1960年代末に彼らが表現したのはあくまで同時代の感覚であり、ブエノスアイレスの街を舞台にした「都市に住む者の孤独」「疎外されたものの悲しみ」「愛による救済」といった物語です。
ピアソラ&フェレールの楽曲のいくつかは1960年代末にアルゼンチンを中心に大衆的な人気を得て、タンゴというジャンルの新たな可能性がこれで切り開かれました。
1950年代までの黄金期を過ぎ、大衆の感覚から徐々にずれていってしまったタンゴが、再び時代の感覚をを取り戻したと言えるかもしれません。

これらの歌曲の発表からはや50年が経ちましたが、かといって現代の私たちにとってわかりにくい音楽というわけではありません。
歌詞は一見難解ですが、実際にはピアソラの音楽は非常に明快にテーマを表現しており、歌詞を読みながら聞いてみると驚くほどすんなりと世界が頭に入って来るのに驚かされるでしょう。(歌詞の日本語訳はぜひ検索してみてください!)

芸術性と大衆性がこれらの作品の中では絶妙なバランスで両立されており、そのため50年近く昔の音楽ながら、ピアソラ=フェルール作品はいまだに古びず現代の私たちの心にも感動を与えます。
ピアソラの死後、盟友オラシオ・フェレールは、『ピアソラの音楽は「カフェの音楽」「場末の芸術」でありながらも、普遍的でクラシックな芸術である』と語りましたが、このバランスが世界中で今もピアソラ作品が聞かれている大きな要因でしょう。

Astor_Piazzolla